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zoom RSS 震災の記録【3】

<<   作成日時 : 2012/04/08 17:14   >>

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続けます。

−◇−


2011/3/27

磐越西線が復旧し、前夜に石油輸送列車が出発したこの日。
私は出張のため東京へ行くことになりました。

東京など、新幹線ならものの1時間半。各駅停車だって2時間。10時代に着けば大体の用事は事足り、多くの出張は日帰りで済んでいました。

しかし、この時点で復旧していたのは那須塩原−東京間であり、そこまでを高速バスで行くにしても、新白河まで1時間半、新白河から那須塩原まで1時間、那須塩原から新幹線で1時間16分。合計、約4時間。あるいは福島から東京駅八重洲口までの直行便で、4時間半から5時間。
この混乱した状況の中で何が起きるか分からないため、たかだか1日の用事に2泊3日の行程を組むことになったのです。所要時間的には、在来線特急時代より退化しています。

身動きの取れないバスオンリーはやめて、那須塩原から新幹線に乗る事にしました。

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すがすがしい晴れの日でした。
思えば高速バスの利用はこれが初めてです。
ふと14番線に目をやると、震災当日に停車中だった編成が佇んでいました。

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この列車は、福島14:46着の139B〈Maxやまびこ・つばさ139号〉でした。間もなく〈つばさ〉が発車しようという時に停電し、地震を受けた事になります。

いつ復旧するのかなぁ…と遠い目をしながら、桜観光の高速バスに乗り込みます。
JRバス便と違って完全ネット予約制のためか、あるいは日曜日の昼間だったからか、乗客は私を入れてたった4人でした。

福島西インターから高速に入ると…うっは、凄まじい揺れ。。。
橋梁やカルバートの部分は頑丈なのでそのまま、前後の盛土だけが沈下し、そこを通過する度にドカン!ドカン!と突き上げます。運転手は何度か運転して分かっていたようで、段差の酷い所はなるべく減速して何とか乗り心地の維持に努めてくれているようですが、気休め程度です。
また、路盤が水平にずれてしまった所も多く見られました。そのほとんどは、福島盆地、本宮−郡山、須賀川−白河で、センターラインがその幅の分だけ食い違っていました。

バスは白河で高速を降り、新白河駅へ。
ダイヤ上は福島→新白河と新白河→那須塩原で系統が分かれており、乗り換えになるのかと思ったら同じバスでした。予約を区切るためであるらしい。

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この時点では、新白河駅は新幹線も在来線も復旧しておらず、駅舎は全面的に封鎖されていました。
警告や復旧見込みに関する張り紙がずらり。

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新幹線線路上には、保守用車がいくつかありました。
(新白河駅ホームは未だに16両分の屋根がなく、右の柱は被災でこうなったのではなく未完成なだけです)

さてここまでが1時間半。ここからは国道4号線を通り那須塩原へ向かいます。
途中、那須高原方面への道路は、福島からの避難者の受け入れ施設がある旨看板が出ており、何となく関所っぽいイメージだなぁ…などと思ったりしました。

そんなこんなでようやく那須塩原に着いた訳ですが

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一言「暗っ!」

この時期、計画停電の影響は関東全域に及び、駅施設も節電のため昼間は照明が一切ありませんでした。

那須塩原という駅に降り立ったのも今回が初めてでした。
〈なすの〉の折り返し駅であるうえ、曲線上にある構内の線形から良い写真が撮れそうだとは思っていましたが、この駅を目指すには普段は各駅停車の列車に乗るしかありません。
しかし、この時はまさにこの駅がターミナルでした。

ホームに上がります。

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まず本来の上りホームは運用列車がないため立ち入り禁止となっていました。
列車は下り側のホームのみで折り返します。

福島方を見ると、電留線へ向かう先の本線に、車止めが置いてあるのが分かりました。
列車が通れる状況にないことが伺い知れます。

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他方東京方は、折り返しに使う下り1・2番以外は案の定全て錆びついていました。

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前に貼った写真では、待合所の窓ガラスが全壊した様子をご覧に入れましたが、このようにホーム上屋の柱も、床面とは別に動いたらしく、周囲がひび割れていました。

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乗車した9570B〈なすの570号〉は、ベテラン200系のK43編成でした。
列車番号が400番台と500番台で何か違うのかと思ったのですが、全て各駅停車、車両は特に決まっておらず、番号を分けた理由はよく分かりませんでした。

狭苦しいバスから解放され、ガラガラの車内の好きな所に座り、発車。

…。

ゆっくりだ…。

復旧したとはいえ、単に「動かせる」といった程度の状態だったようで、大半が160km/h以下、栃木県内は部分的に70の所もあり、実に慎重な足取りでした。
それでも車体が変にスイングする所があり、改めてこの地震が広範囲に被害をもたらしたことが実感されました。

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東京に着いた頃には、相当くたびれていました。
こんなに遠い所だったっけ…?

節電で全体的に暗くなっていたのも、いつもの東京とは違う感覚を助長していました。

宿は秋葉原。食事をする所も充実してきて申し分ありません。

3/28

無事、所定の要件を終えました。
実は3/9にも全く同じ場所に用件があったのですが、その建物内で大震災の「前震」に遭いました。
高層階だったので揺れ幅が大きく、波長も長いので実に気持ち悪い。
「余震きたらやだなー」と思いながら仕事をするのは、疲れます。

その日の晩。
秋葉原UDXの「須田町食堂」で夕飯をいただきました。
水道は一週間で回復したものの、乳製品や野菜が乏しく、レトルトや缶詰ばかりの食生活が続いたため、「生野菜のサラダ」的なものが非常に有り難く感じました。

で、夕飯の最中に緊急地震速報が鳴り…、空振りだったわけですが、東京にいて余震に遭うのはちょっと勘弁だなぁと思いながら、また一夜を過ごしました。

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