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zoom RSS 震災の記録【4】

<<   作成日時 : 2012/04/14 18:25   >>

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先週の続きになります。

−◇−


2011/3/29

秋葉原に2泊し帰途につくことになりました。

帰りも那須塩原まで新幹線、その後はJRバス東北の高速バスで郡山へ直行する予定でした。

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帰りに乗ったのは9557B〈なすの557号〉、E2系でした。

さてここからまたバスに延々乗ることになるわけですが、バスターミナルに出たところ予約不要の郡山便は既に満席で、「続行便は出せないから次の時間まで待ってくれ」と言われてしまいました。しかし発車時間にまだ余裕がある上、乗りそびれたのは私だけ。
途方に暮れていると、ほどなく「ガイド席でよければ乗れます」と。
贅沢は言っていられないし、早く帰りたい一心だったので、ガイド席に座ることになりました。しかしポジション的には実に都合が良かったのだと後で分かることに。

路面は相変わらずひどい凹凸が続き、行きと違って満員だったこともあり徐々に室内の雰囲気が沈んでいく感じが露骨に分かるほどでした。
バスが須賀川インターに差し掛かった時、遂に「酔ってダメそうな人がいる」と後方から申告が。
予定通りのルートかどうか分からなかったのですが、運転手はインターから東北道を降り、インターを出たところで緊急停車。
ガイド席だった私は真っ先に降車して様子を伺うと、後ろの方からまともに歩けないほどフラフラの男の子が母親に抱えられて出てきました。そして真っ青な顔のままバスの脇に倒れ込んで沈黙。
見かねた親が「家が近いのでここでいいです」と運転手に運賃を支払い、下車扱いとなりました。

そこからは一般道を走り郡山駅へ。
須賀川の市街地はブロック塀が随所で崩壊し、ブルーシートで屋根を覆った家も目立ちました。
しかし明らかに様変わりしていたのは、東京へ向かう日はまだ長かった給油待ちの車列が明らかに短くなっていたことでした。
石油輸送列車の効果か、ガソリンが確実に浸透を始めていました。

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那須塩原から1時間半。郡山に帰ってきました。
新幹線の下り1番線には、震災当日257B〈なすの257号〉、折り返し264Bとなるはずだった車両が留置されていました。

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駅の中は意外と賑わっていました。発車案内板には特別な表示が目立ちます。
石油輸送列車のタンク車の姿が奥に見えます。

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このホワイトボードは元々用意してあった物でしょうか。非常に分かりやすく必要十分な情報が記されていました。

この時点で、磐越西線の全線と東北本線の本宮までが復旧していましたが、これでは私は家に帰れません。
更に待って、路線バスに乗り換え1時間を要しました。

鉄道、とりわけ新幹線の便利さを思い知った出張が何とか終わりました。


4/2

ガソリン不足は4月に入ると急速に解消し、我が愛車にもようやく満足な給油ができるようになりました。
原発の状況が相変わらず厳しいとはいえ、これで行動面での不安は解消されました。

となれば、鉄道の現状を色々見ておきたい。ということであちこちに出掛けました。

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何の変哲もない701系、ですが、その場所が…。
震災当日の582Mは、東福島駅のわずか数十m手前で停車し、動けなくなったのです。

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桑折付近の新幹線線路上では復旧工事が続いていました。
写真にうつる範囲では、架線柱の倒壊などは見当たりませんでした。

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架線の傷などを調べる車両でしょうか。小さいシューのような物も見えます。

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福島トンネルの北口に出向いたのは震災後初めてとなりました。
当然、まだ列車を動かせるような時期にはなっていませんでした。

が、

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トンネル内照明が点灯しているのに気付きました。
復旧に向けた準備が進んでいることを伺わせます。中にはまだ例の3026Bがいるはずです。

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何十回何百回と見たおなじみの光景。
しかし震災後のそれは、以前とは明らかに違う「動きの止まったような張りつめた空気」を感じるものでした。

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トンネル西側の保守通路には、かなり派手な亀裂が走っていました。

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普段は最上段まで行くことのない非常階段を上りきり、東北本線下り線の路盤を眺めてみました。
線路の輝きは失われていましたが、明治期に建設されたこの巨大な築堤は震災にも動じず、泰然と福島盆地を見下ろしていました。
すぐ西側を通る東北自動車道の残念な崩れっぷりと比較すると、見事なものです。
120年間踏み固められてきた強さなのでしょう。

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ふと上り線側に保線モーターカーが動いているのを発見。
この辺の在来線で「動くもの」を見るのは久しぶりで、何だか安心しました。

4/7

新幹線の盛岡−一ノ関、在来線の福島−岩沼が復旧し、福島から仙台まで繋がるようになりました。
しかしこの日の23時32分、震災後の最大余震が襲い、わずか半日だけの復旧は再度振り出しに戻ることとなりました。

復旧工事たけなわでコンクリートを固めるだけになっていた区間はこの地震で再度被災し、今なお運行に支障がない程度に傾いたままの架線柱も見られます。

4/10

震災から一か月が経とうとしていました。
依然放射線量が高く、不要な外出は避けるべきでしたが、東北新幹線の福島復旧を翌々日に控え、再度近場の様子を見に行きました。
この時点でのレポートは昨年同時期にまとめてあります

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和田トンネルの郡山方。
梅の花と赤い水道橋が彩りを添えています。

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福島トンネル郡山方。
この場所で、久々に「走る新幹線車両」を目撃することになります。

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震災の日からこの方空のほうはずっと騒がしく、自衛隊のヘリが何機も飛び交っていました。

この日の夜、またしても大きめの余震。翌日の夜にもあり、「また復旧が先延ばしになるのか…」と落胆しかかったのですが、何と12日、新幹線も在来線も当然のように走り始め、ここに至って仙台圏と首都圏が福島乗換えのみで繋がる記念すべき日を迎えるに至ったのでありました。

この1カ月間、地域住民が放射線に怯える中、鉄道を始めとするライフラインを迅速に復旧された方々には心からの敬意と感謝を表するものであります。

−◇−


後日、早速そのありがたみを実感しに出掛けることになりました。
いそいそとホームで待つ私の目に飛び込んできたのは、「あのベテラン」でした。

以下次回。

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