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zoom RSS 震災の記録【7】

<<   作成日時 : 2012/04/29 22:34   >>

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2011年4月16日の章、3回目です。

−◇−


新幹線で福島駅に戻ってきた私は、その足で仙台に向かう事にしました。
〈新幹線リレー号〉に乗車するためです。

時刻表を見ると、私の乗ってきた9457Bに接続するのが10時55分発の9905M(列車名は〈臨時快速〉となっており、厳密には〈リレー号〉ではない。が、名前が違う理由はいまいち分からない)で、この列車は9906Mが仙台→福島を61分という上り最速列車の折り返し(下り63分も最速)であり、下調べは全くできていなかったものの、「多分485か583だろう」という見込みを付けていたものです。

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福島の電留線には、同じくリレー号に駆り出されたE721系の500番台。
まだ仙台空港線は復旧しておらず、暇を持て余していた車両の有効活用といった感じです。
臨時列車はこの他E721系0番台も充当されました。

さてお目当ての列車には何が来るか…

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大当たり〜

実は、仙台所の583に乗ったのはこれが最初で最後となりました。
583系自体、前回乗ったのは少し昔、八戸延伸を控えた2002年の春に〈はくつる82号〉に乗ったのが一度目。
715系には飽きるほど乗っていて記録するまでもない事だったのですが、無くなってみれば懐かしさだけが残ります。

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この非日常的光景を全て物語る一枚。
福島駅、583の車内から、E721の500を写し、背景には11番線におわしますE4系…。

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車内はいささか頭上が重たげ。ボックスシートも広からず、狭からず。
お昼直前に仙台に着くなかなかよさげな時間帯の列車ながら、車内は結構空いていました。
混雑していると583の評価は大きく変わります。

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復旧工事中の新幹線を遠巻きに眺める伊達付近。
黒っぽく見えるのが建て直した鋼管の架線柱ですが、固定が不完全なうちに7日の大余震を迎えてしまい多少傾いているのが伺えました。
前にも言いましたが、建築限界に支障しない架線柱は、今でも傾いたままです。

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全体的に薄曇りで、写真の彩度が今ひとつ良くないのですが、それでも船岡の千本桜は絶景であります。
線路脇の遊歩道にはたくさんの人が鑑賞をたのしんでいました。

船岡の桜の時期は、定期列車であれば減速して桜を楽しむところ(運転士の加減次第)なのですが、この時は全く普通の速度で走っていました。全速力という程でもなく、90km/hくらいで始終流した走りで、特に徐行区間もなく不自然な揺れも感じませんでした。

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仙台には定刻に到着。
途中、館腰のあたりは仙台空港の最寄り駅ですが、東北本線の位置から見るそれは至って普通で、報道により見聞きしている1か月前の惨状とのギャップを感じました。内陸部は不思議なほど何ともないのです。
しかし全体的には仙台らしい賑やかさは影を潜め、仙台駅手前の渋滞で有名な踏切には一台の車もなく、若干の寂しさがありました(S-PALは存外賑わっていたのですが)。

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こちらは9910Mでしょうか。臨時幕です。

この後すぐ折り返してもよかったのですが、折角仙台に来たので牛たんを食べて帰る事にしました。
まだ物資不足が一部にあり、エキナカの供食事情も完全ではあるまい、と思ったのですが、照明が節電していて暗かった以外はほとんど普通に食事ができました。一部の店では「復興セット」のようなものもあり、普段より安く提供されていたようです。反面、「(津波等のため)材料入手困難につき販売中止」のメニューもちらほら。平時ではないのだと強く感じさせました。周囲から漏れる会話も震災がらみばかり…。

とりあえず少しばかりのカネを落とし、帰路に。
風任せで適当に帰ろうと思ったのですが、この判断がまずかった…

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この582Mは定刻より30分ほど遅れ、仙台を発車しました。
理由は槻木−岩沼の風規制でした。

帰りも485か583にしようと思いしばらく待っていたのですが、福島発の臨時列車も規制区間のあちら側にいて運転できず、15時過ぎになって9914Mの運休がアナウンスされました。時間が経てば風が収まると思っていただけに、裏目に出ました。

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新幹線ホームの飾り屋根が全て落下し、中央広場の天井に漏水があった仙台駅ですが、この時新幹線ホームは鋭意工事中、その他は震災の爪痕をさほど残してはいませんでした。
しかし福島駅と同様に、壁面タイルが無造作に剥がれ落ちた部分がありました。

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これはホームの縁石にできた隙間をアスファルトで埋めた所が、余震でまたヒビが入ってしまったようです。

…などと道草するうちにも日は暮れ、風ますます強まり、寒くなってきました。
結局3586M〈仙台シティラビット6号〉は運転されることになったのですが、運休の列車を補完するため、何と各駅停車になってしまいました。
とにかく帰りたいので、乗車。

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長町の手前、広瀬川の新幹線橋梁上には保守用車が止まっていました。
そして、

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そのすぐ東京寄りには、震災当日144B〈Maxやまびこ144号〉だったE4系が横たわっていました。
この車両は数日後、福島−仙台間を最初に走行した車両となり、逆線運転で仙総所へ回送されていきました。

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何とかだましだまし走り続けた我が列車ですが、遂に槻木で抑止に。
風規制区間は越河峠を含む藤田−大河原間に移っており、より厳しさを増していました。

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尚、槻木に来る度に不思議に思うのがこのホーム。
駅名標は所在地入りの古い形式ですが、JR化後の物です。
最初は丸森線時代の折り返しホームかとも思いましたが、次駅名が船岡になっているということは東北本線の上りホーム以外ありえません。
橋上駅にした際にホームをずらしたんでしょうか。線形が微妙にうねっている点も含めて謎です。

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結局、大河原まで進んだところで先行していた584Mに追い付き、ここで前途運転中止となってしまいました。
バス代行が決定し、18時半に大河原駅を出発。福島に直行する便を選びましたがそれでも1時間半を要し、完全に帳の降りた福島駅西口へ辿り着いたのは20時を少し回った所でした。

まさか最後の最後でまたバスの世話になるとは…。
乗客も一様に不機嫌なのが分かりましたが、相手は自然現象ゆえに怒りの矛先が向かう所もなく。
新幹線なら25分、在来線でも1時間。ふつうならどちらかは動き補完してくれるのですが、この時はそれもかなわず。
いかに新幹線が便利で楽なのかを心の底から思い知らされた旅行となりました。

(長い長い4月16日・完)

−◇−


<追伸>

福島から松川への最終盤は、福島に留置されていた編成が急遽充当されて無事帰れました。
折角バスで来たのに「さっき自分が降りた列車に乗るのはいかがなものか」と思ったわけですが流石にそれは無かったと。

因みに代行バスの運転手は哀川翔に顔も声もそっくりで、「はぁ〜いでは発車しまっす☆」というのが深く深く印象に残っております。どこのバス会社だったかは忘れてしまいました。

震災の記録、まだまだ続きます。

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